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美濃・尾張 街道集目次

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 終更新日付 14/12/18 11:33

               鎌倉街道
 
鎌倉幕府開設以来、各地から鎌倉に向かう中世の古道で、鎌倉往還とか鎌倉道とも呼ばれています。
 また鎌倉海道とも書く。鎌倉を中心に放射状に走り、どの道も地方へ向かう場合には行先に応じ、武蔵路・奥州道・上州路・信濃街道や京都と結ぶ京鎌倉往還などと別称した。(作成中)

        美濃中山道十七宿
 以前は美濃「落合宿」から「今須宿」の十六宿であったが、町村合併により「馬篭宿」が長野県から岐阜県に編入されたため、「美濃中山道十七宿」としました。
 このため中津川市馬篭の「馬篭峠」から関ケ原町今須の
「寝物語の里」までを収録しました。

         美濃路七宿
江戸時代、中山道往還として道中奉行支配下に置かれていた街道で、中山道の「垂井宿」から分岐して、大垣宿、墨俣宿、起宿、萩原宿、稲葉宿、清洲宿、名古屋宿、と東海道の宮宿に至るまでの七ヵ宿が美濃路の宿駅であった。この七宿を紹介します。(修正中)

      岐阜街道(鮎鮨街道)
岐阜街道は名古屋街道、鮎鮨街道等と呼ばれ、稲沢市井之口を基点として、一宮市を経て木曽川を渡り岐阜県に入り、笠松町から岐阜城下まで六里半の道で、旧国道22号(現在の県道名古屋一宮線・岐阜線)の元となっている。(作成中)

          御成道
慶長五年(1600)九月の関ケ原合戦の際、徳川家康が通った往時を偲び「岐阜お成り」と称して岐阜を訪れることは、歴代の尾張藩主の重要な行事となっていた。
 このお成り行列が通った岐阜街道から中山道までを「お成り道」と呼んでいる。

          御陣屋道
御成道と同じく、黒田の旧字子新田で岐阜街道と分かれ、真直ぐに奥村用水を渡り、曽根の郷中に入って約100m行った所で左に曲がり、また、右に曲がる「鉤の手」に造られており、当時の戦略的な意図がうかがえる。 
その後、青塚神社横を通り、妙性坊の前から代官所(ご陣屋)のある堤防までが御陣屋道である。

         巡見街道
 江戸時代二幕府より派遣された「巡見使」が通った道で、既存の五街道、脇往還道、各藩の藩営道路、主要地方道を連続させて設定された道である。
 「巡見使」とは、幕府が政治の参考にと、諸国の政情を視察させ情報収集係で二千石以上の旗本を筆頭に100人を超える行列で行われた。(一部準備中)

          駒塚道
享保十一年(1726)尾張藩家老、石河候が駒塚に居を構えたことにより、名古屋城に登城する必要上、駒塚〜冨田間に渡船を開いたのが始まり、美濃路の駒塚道追分から渡船場に至る道を駒塚道と呼んでいる。
 この街道はその後、対岸の駒塚村から竹鼻を経て竹鼻街道として美濃路大垣宿へ通じていた。

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