×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

美濃・尾張街道集「駒塚道」

美濃・尾張街道集(目次)へ

駒塚道
享保十一年(1726)尾張藩家老、石河候が駒塚に居を構えたことにより、名古屋城に登城する必要上、
駒塚〜冨田間に渡船を開いたのが始まり、美濃路の駒塚道追分から渡船場に至る道を駒塚道と呼んでいる。
 この街道はその後、対岸の駒塚村から竹鼻を経て竹鼻街道として美濃路大垣宿へ通じていた。
(「一宮市の歴史街道観光ガイドマップ」より)

駒塚道
美濃路の愛知県一宮市冨田・駒塚追分から木曽川対岸の
駒塚村から竹鼻を経て竹鼻街道として美濃路大垣宿へ通じていた。
(一宮市観光協会発行の「一宮市の歴史街道観光ガイドマップ」から)

駒塚道
駒塚道は上図@「美濃路追分碑」から西へ進み「木曽川」を渡り対岸のB「駒塚渡し」の跡へ渡り
C尾張藩家老石河(いしこ)邸までの道(紫色)が主体で尾張藩家老が名古屋城へ出仕する為の道であった。
やがてその道が「竹鼻街道」へつながり駒塚道となった

駒塚-01 駒塚道追分碑

愛知県一宮市冨田字立石  海抜  9m

北緯

35

17

33.

東経

136

44

39.

駒塚碑追分碑
真直ぐに走る美濃路(愛知県一宮市冨田地内)から西へ分岐する「駒塚道」の
角に建つ「左 駒塚道」の碑(駒塚道図の@

「駒塚道追分碑」の南へ約50m程の場所に美濃路「冨田一里塚」があります。

駒塚-01-1 冨田一里塚

愛知県一宮市冨田字立石  海抜  9m

北緯

35

17

33.

東経

136

44

39.

国指定史跡
冨田一里塚
 (昭和12年12月21日指定)

 一里塚は、江戸時代の慶長九年(1604)に、徳川家康が、江戸日本橋を起点とし、
 一里(約4km)ごとに築いて、全国に普及させました。
 一里塚には根が深く広がる榎(えのき)を植えることが多く、この冨田一里塚も東西に
 榎の大木が植えられています。
 一里塚は旅人の距離矢運賃の目安となり、休憩所としても利用されました。
 東海道「宮宿」と中山道の「垂井宿」を結ぶ美濃路には、十三か所の一里塚が設置されていました。
 しかし、今では街道の両側に原形をとどめるのは、ここ冨田一里塚のみとなりました。
 全国でも数少ない貴重な史跡のひとつです。
 尾西市教育委員会

一里塚は、一般に京に向かって左側を「左塚」、右側を「右塚」と言うが、
地元では方角をつけて「西塚」・「東塚」と呼んでいる

 

駒塚道は@「駒塚道追分碑」から西へ駒塚道を進むと木曽川河畔に出るとA「駒塚道渡船場」ありました。

駒塚-02 駒塚道渡船場跡

愛知県一宮市冨田砂原  海抜  12m

北緯

35

17

42.

東経

136

44

08.

駒塚道は現在の堤防下まで通じ木曽川へ出ます

「駒塚道渡船場」跡らしき付近から対岸の「駒塚渡しの跡」あたりを望みます。

現代は駒塚道渡船場跡から対岸の駒塚渡しの跡」へは堤防道路の県道129号を1.8kmほど北上し(上流へ)、
「濃尾大橋東」信号で右折(西れ)し「濃尾大橋」を渡ります。
「濃尾大橋」西詰にある「正木町三ッ柳」信号を左折(南折)し1.800m程の地点に
「駒場の渡し跡」の地蔵堂の屋根が見えてきます。

「駒場の渡し跡」の地蔵堂の屋根が見えてきます。

「駒場の渡し跡」は地蔵堂脇の道を河原へ下ると石垣などの遺構が残っています。

駒塚-03 駒塚渡しの跡

岐阜県羽島市竹鼻町駒塚  海抜  12m

北緯

35

17

54.

東経

136

43

34.

目印となる「地蔵堂」

羽島市指定史跡
駒塚渡しの跡

駒塚の渡しは、駒塚(竹鼻町)から冨田(尾西市)に達するもので享保十一年(1726)に
名古屋藩宿老駒塚石河(いしこ)氏登城のために設置した。
明治以降は個人経営となり、地元の船頭七人によって運営されたが、昭和11年の濃飛大橋完成で廃止された。
この私は、長い年月多くの人々に利用され、現在も舟つき場跡が残っており、その史的価値は極めて高いと言える。
平成七年十一月  羽島市教育委員会

河原へ下りて行く道野両側には石垣が残り勝手の船着き場の面影が残っている。

次は尾張藩宿家老の石河(いしこ)邸を探します
尾張藩宿老石河邸へは、下の手書き住宅地図により「伝法寺」を探されて進んだ方が分かり易いと思います。

駒塚石河邸砦址
この場所は羽島市の木曽川沿い近くの場所で説明のし難い場所です。
カーナビがあれば、「傳法寺」を設定して行けば確実です。
ただし「石河邸砦址」近くは道が狭くて車の運転に充分注意してください。

石河(いしこ)邸砦址
県道18号線あたりから入ると、かなりスムースに到達できます。
カーナビなら「傳法寺」が目印になると思います。
道は普通自動車がギリギリの幅です。

付近の城跡は「シルバーの城郭城址の散歩道」または「大垣城周辺の城址02」(羽島市・岐阜市柳津町)
「26石河(いしこ)邸砦址」を参照して下さい。

石河邸を探すには堤防上から「伝法寺」の屋根を探した方が分かり易いと思います。

駒塚-04 尾張藩家老
石河
(いしこ)邸(砦跡

岐阜県羽島市竹鼻町駒塚  海抜  m

北緯

35

17

35.

東経

136

44

38.

目印は「伝法寺」です。

邸碑あり

狭い道路の奥にあります。 向かいの「聖徳山 傳法寺」が目印になります

史跡 駒塚石河邸跡
 駒塚石河氏は、慶長十七年に尾張藩付属となり美濃国、摂津国に一万石を領していた。
 寛文九年に駒塚村を所在とすることを命ぜられ、一万八千平方bの宅地に壮大な館舎を営んでいた。
(竹鼻町教育委員会)

石河(いしこ)邸の目標となる伝法寺はこんなお寺です。

伝法寺

岐阜県羽島市竹鼻町駒塚  海抜  5m

北緯

35

17

35.

東経

136

44

38.

向かいの「聖徳山 傳法寺」を目標に探してください。

駒塚道はこの後、竹鼻街道へと続きます。
(竹鼻街道は取材中です。)


美濃・尾張街道集(目次)へ

美濃・尾張街道集「駒塚道」