岐阜街道3
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愛知県一宮市 尾張国 |
加
宝江渡船場跡 一宮市北方町木曽川 |
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堤上にはの小さな「高橋源左衛門旧居跡」の |
振り返ると、先ほど渡ってきた「木曽川橋」が見えます |
「宝江渡し」 |
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「高橋源左衛門旧居跡」 |
少し名古屋方面へ入ってみましょう
堤上道から東南へ進みます |
約100mほど進むと変則四差路へ出ます
なごや・津しま起追分 一宮市北方町木曽川 |
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変則四差路 | 四差路の片隅に古い道標があります |
左:なごや道 右:津しま・起(おこし)道 | 文政十二年己丑(つちのとうし)四月(1829年と比較的新しい) |
交差点の反対側に「宝江渡跡」の碑 |
尾張藩から見た「岐阜街道」(鮎鮨街道) 岐阜街道は、中島郡井之口村四ツ家で美濃路から分かれ一宮 ・黒田を経て宝江の渡しより笠松・中山道加納宿から岐阜に 至る道である。関ヶ原の合戦後、美濃の一部が尾張藩領となり 岐阜の町も支配下に入るに及び藩政上重要な街道となる。 |
更に約400mほど堤上から街道を下ると信号のある交差点へ出ます。
南無妙法蓮華経碑 一宮市北方中島町 |
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昔から街道の安全を祈り建てられたものでしょう。 |
安政三丙辰(ひのえたつ)年(1856年) |
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