美濃・尾張街道集「駒塚道」
駒塚道
享保十一年(1726)尾張藩家老、石河候が駒塚に居を構えたことにより、名古屋城に登城する必要上、
駒塚〜冨田間に渡船を開いたのが始まり、美濃路の駒塚道追分から渡船場に至る道を駒塚道と呼んでいる。
この街道はその後、対岸の駒塚村から竹鼻を経て竹鼻街道として美濃路大垣宿へ通じていた。
(「一宮市の歴史街道観光ガイドマップ」より)
駒塚道 |
駒塚道
駒塚道は上図@の「美濃路追分碑」から西へ進み「木曽川」を渡り対岸のB「駒塚渡し」の跡へ渡り
Cの尾張藩家老石河(いしこ)邸までの道(紫色)が主体で尾張藩家老が名古屋城へ出仕する為の道であった。
やがてその道が「竹鼻街道」へつながり駒塚道となった
駒塚-01 駒塚道追分碑 愛知県一宮市冨田字立石 海抜 9m |
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駒塚碑追分碑 |
「駒塚道追分碑」の南へ約50m程の場所に美濃路「冨田一里塚」があります。
駒塚-01-1 冨田一里塚 愛知県一宮市冨田字立石 海抜 9m |
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国指定史跡 |
一里塚は、一般に京に向かって左側を「左塚」、右側を「右塚」と言うが、 |
駒塚道は@「駒塚道追分碑」から西へ駒塚道を進むと木曽川河畔に出るとA「駒塚道渡船場」ありました。
駒塚-02 駒塚道渡船場跡 愛知県一宮市冨田砂原 海抜 12m |
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駒塚道は現在の堤防下まで通じ木曽川へ出ます |
「駒塚道渡船場」跡らしき付近から対岸の「駒塚渡しの跡」あたりを望みます。 |
現代は駒塚道渡船場跡から対岸の「駒塚渡しの跡」へは堤防道路の県道129号を1.8kmほど北上し(上流へ)、
「濃尾大橋東」信号で右折(西れ)し「濃尾大橋」を渡ります。
「濃尾大橋」西詰にある「正木町三ッ柳」信号を左折(南折)し1.800m程の地点に
「駒場の渡し跡」の地蔵堂の屋根が見えてきます。
「駒場の渡し跡」の地蔵堂の屋根が見えてきます。 |
「駒場の渡し跡」は地蔵堂脇の道を河原へ下ると石垣などの遺構が残っています。
駒塚-03 駒塚渡しの跡 岐阜県羽島市竹鼻町駒塚 海抜 12m |
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目印となる「地蔵堂」 |
羽島市指定史跡 |
河原へ下りて行く道野両側には石垣が残り勝手の船着き場の面影が残っている。 |
次は尾張藩宿家老の石河(いしこ)邸を探します
尾張藩宿老石河邸へは、下の手書き住宅地図により「伝法寺」を探されて進んだ方が分かり易いと思います。
駒塚石河邸砦址 |
石河(いしこ)邸砦址 付近の城跡は「シルバーの城郭城址の散歩道」または「大垣城周辺の城址02」(羽島市・岐阜市柳津町)」 |
石河邸を探すには堤防上から「伝法寺」の屋根を探した方が分かり易いと思います。
駒塚-04
尾張藩家老 岐阜県羽島市竹鼻町駒塚 海抜 m |
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目印は「伝法寺」です。 |
邸碑あり |
狭い道路の奥にあります。 向かいの「聖徳山 傳法寺」が目印になります |
史跡 駒塚石河邸跡 |
石河(いしこ)邸の目標となる伝法寺はこんなお寺です。
伝法寺 岐阜県羽島市竹鼻町駒塚 海抜 5m |
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向かいの「聖徳山 傳法寺」を目標に探してください。 |
駒塚道はこの後、竹鼻街道へと続きます。
(竹鼻街道は取材中です。)
美濃・尾張街道集「駒塚道」