美濃・尾張街道集「御陣屋道」
御陣屋道
御成道と同じく、黒田の旧字子新田で岐阜街道と分かれ、真直ぐに奥村用水を渡り、
曽根の郷中に入って約100m行った所で左に曲がり、また、右に曲がる「鉤の手」に造られており、
当時の戦略的な意図がうかがえる。
その後、青塚神社横を通り、妙性坊の前から代官所(ご陣屋)のある堤防までが御陣屋道である。
(「一宮市の歴史街道観光ガイドマップ」より)
「御陣屋道」は中央辺りの褐色色の道です。 |
出発点は上図の「●の美濃路から御陣屋(御成道)分岐」です。
御陣屋-00
岐阜街道、 愛知県一宮市木曽川町黒田往還南 海抜 12m |
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岐阜街道を見分易い場所は「JR東海道本線木曽川駅」北の踏切を横断している道が「岐阜街道」です.。
御陣屋道は「岐阜街道」のJR東海道本線の「木曽川駅」東の交差点から説明します。 |
この道JR東海本線「木曽川駅」北の踏切を横断する道が「岐阜街道」です |
木曽川駅の踏切から東へ進むと信号交差点が見えてきます。 |
岐阜街道の木曽川駅の踏切を東へ200m程進むと信号交差点へ出ます。
この信号交差点が「北方御陣屋跡」(御陣屋道)と「御成道」の出発点です。
御陣屋-01-御陣屋道(御成道)出発点
一宮市北方町北方西本郷 海抜 17m |
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「御陣屋道」と「お成り道」の出発点はこの交差点です |
交差点を170m程北進すると「御陣屋道」と「お成り道」が分かれます。
御陣屋-01-2
御陣屋道 愛知県一宮市木曽川町黒田往還東 海抜 15m |
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170m北進すると複雑な交差点へ出ます。
この2本の道(真ん中に緑地がある)が交差する道のどちらかを右折(東折)します。
途中「お成り道」は右折(東折れ)しますが、「御陣屋道」そのまま北進します。 |
岐阜街道から分岐した「御陣屋道」を北へ700m程進んだ田の中に「江戸時代の道標」がひっそりとあります。
御陣屋-02 江戸時代の道標 愛知県一宮市北方町北方北曽根 海抜 14m |
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「01御陣屋道分岐」交差点から600m程の左側の電柱と用水脇にわずかに頭を出しています。
「河村木材工芸」の建物が目印になります。 |
道標は背が低く道路からわずかに頭だけを出しています。 |
近くに寄るとかろうじて石の碑と木標があります。 |
「左 一ノ宮道」「右 御陣屋道」の文字がかすかに読めます。 |
「御陣屋道」は広い道から東折します。 |
ここから東折した道が「御陣屋道」です。
東折したあと80mほど進み北折(左折)します。 |
御陣屋道は国道22号工事で消滅 |
このため西側の街道に戻ります。
「御陣屋道」の消滅点から西折し100m程進むと正面に「青塚神社」があります。
御陣屋-03 青塚神社 一宮市北方町北方西本郷 海抜 11m |
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由緒がありそうな神社ですが由来は分かりません。 |
広い街道へ出て北折し「青塚神社」の隣の「北方中学校」横を過ぎて学校の角まで来ると
「県道148号」へ出ます。
この交差点を左折(西折)し「県道148号」を400m程西進します。
「北方代官所跡」(御陣屋跡)へは現代の道を進みます。 |
「県道148号」を400m程西進し「JR東海道本線」ガード下をくぐると、 |
この標識のある交差点を北折(右折)すると正面に木曽川堤防が見えてきます。
木曽川堤防まで500mほど進むと |
標識を右折(東折)すると「JR東海道本線」の下に |
広大な代官所跡のほとんどは民地となり住宅地となっております。
御陣屋-04 北方代官所跡 一宮市北方町北方西本郷 海抜 9m |
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広大な代官所跡の今は石柱と松の木1本、説明板と囲いだけです。 |
かって屋敷内にあった「金毘羅神社」ははるか彼方に見えます。 |
広大な代官所あとは現在はほとんどが民地になり民家が立ち並んでおり、 |
北方代官所跡 木札の説明板には |
上図にある神明社や金刀比羅社の間に在った官舎は現在は民家が立ち並んでいる。 |
次は「御成り道」を案内します。